西鉄バスジャック事件の犯人のその後や現在とは?顔画像についても!


2000年5月3日に発生した西鉄バスジャック事件は当時17歳の少年により行われました。

犯人の名前は谷口誠一ですが事件から16年が経った今、犯人の現在が気になるところ。

また、犯人は当時17歳だった事もあり詳しい情報が報じられておらず犯人顔や犯行動機についても気になります。

そこで今回は西鉄バスジャック事件の犯人顔や犯人の現在、その後や犯行動機について詳しく調べてみました!

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西鉄バスジャック事件とは?

西鉄バスジャック事件は2000年(平成12年)5月3日に起こった当時17歳の少年によって発生した凶悪な事件です。

ちなみに西鉄バスジャック事件の他に西鉄バス乗っ取り事件や佐賀バスジャック事件、ネオ麦茶事件とも呼ばれています。

佐賀県佐賀市にある佐賀駅バスセンターから福岡市にある西鉄天神バスセンター行きのバス「わかくす号」の車内で当時17歳の少年に乗っ取られました。

乗員乗客合わせて22人を乗せたバスは出発しますが約40分後に運転席の真後ろに座っていた少年が運転手に

「天神には行くな。このバスは乗っ取ります」

と言って刃渡り40㎝の牛刀を運転手に突きつけてバスを乗っ取ります。

その後バスを乗っ取った少年は乗客に

「あなたたちが行くのは楽しい天神ではありません。地獄です。」

と発言し少年は乗客に対してバスの後ろに行くように指示しますが1人の女性は寝ていたため騒動に気づいていませんでした。

少年は寝ている女性がふてくされて寝ていると勘違いして逆上し持っていた牛刀で女性を切りつけたのです。

そこで運転手は少年に気づかれないようにハザードランプやパッシングで外部に異常事態である事を伝えようとしていましたが対向車は気づいていなかったそうです。

少年は乗客に対してトイレに行く事を許可しましたが1人の女性が降りてすぐに警察に通報し非常事態を伝えました。

脱走に気づいた少年は

裏切り者は許さない

と言い1人の女性を切りつけておりバスから脱走に成功した男性もいたため少年は新たに68歳の女性を切りつけました。

バスが進んでいると目の前には道を塞ぐようにパトカーが並んでおり少年は運転手に

突破できないのか?

と問いかけますが運転手は「バスが破損して動かなくなる」と言ったそうです。

そこでバスは警察に誘導されパーキングエリアに停車し人質は解放されましたが切りつけられた68歳の女性は出血多量で亡くなってしまっていたのです。

警察は少年に差し入れをし、少年の両親も現場に到着したため説得を試みましたが拒否されてしまいます。

バスジャック開始から15時間半が経過した5月4日の午前5時すぎ、少年は疲労し緊張感が途切れて隙が見えた瞬間に15人の警察官が突入し少年は逮捕されました。

この事件は少年が逮捕されるまで生中継されており世間を震撼させていました。

死者1名、負傷者2名が出た非常に恐ろしい事件ですが逮捕された少年は現在について注目が集まっているそうです。

犯人のその後や現在とは?

15時間半に渡りバスジャックしていた犯人の少年ですが逮捕後に広島地検は「刑事処分が相当である」と判断し少年は佐賀家裁に送還され精神鑑定を行なった結果、

「自分が自分でなくなる感覚の解離性障害や行為性障害が見られ、精神分裂病を発症する恐れもある」

という診断結果が出たため解離した施設では日常的に精神科医の観察が必要だと判断されたそうです。

その後行われた裁判では5年以上の医療少年院送致とする保護処分が下されており少年は京都医療少年院に収容されました。

2005年に負傷者の1人である山口由美子さんは少年と面会しています。

山口さんは

誰にも分かってもらえず辛かったんだね

と話すと少年は

本当に申し訳ありませんでした。

と頭を下げて謝罪の言葉を述べています。

少年は2006年1月に京都医療少年院を仮退院し3月26日に保護期間を満了、そして本体院したそうです。

少年は2018年現在で35歳になりますが年齢以外の情報については明かされていません。

現在はどこかでひっそりと生活していると思いますが毎日後悔、毎年5月3日の日には激しく苦しんでいることでしょう。

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犯人顔について!

逮捕時に少年は未成年だったことから名前は公表されていませんでしたがネットからの情報により谷口誠一と明かされています。

谷口少年は1983年に佐賀県で生まれ父親は建設機械の会社に勤務するサラリーマン、母親は役所で保健師をしていたそうです。

少年は幼少期から言動に落ち着きがなかったようですが小学生の時には成績が良く周りからは優等生と見られていました。

しかし協調性に欠けていた谷口少年は学校で友人に上手く馴染めずいじめの対象に。

中学に入学して中2の時まで学年で2番目の成績を誇っていましたが高校受験が近くなるにつれて成績が落ちたとされています。

この頃には同級生からのいじめも激しくなり谷口少年は他者への攻撃的な態度を取るようになったのです。

母親に対して「貴様」と呼び命令口調で家族に暴言を吐くだけではなく物を投げつけるなどの暴力が振るわれていたようです。

1998年の1月にクラスメイトの挑発を受けて5メートルの高さがある踊り場から飛び降りるも着地に失敗し重症を負い入院します。

谷口少年は病室で佐賀県立到遠館高等学校を受験して合格しましたが入学して直ぐに校風が合わないという理由で自主退学。

谷口少年は自宅で引きこもるようになり常にインターネットをしていました。

唯一の外出は「お出かけ」と称して土日に父親と行くドライブのみでした。

ドライブの内容は観光地やデパートに行くものではなく道路を10時間以上も延々と走り続けるものだったのです。

家庭内暴力が悪化したため危機を感じた両親は警察や精神科医に相談しますが事件を起こさない限り対処出来ないと断られ、最後の望みとして有名精神科医の町沢静夫氏に連絡して相談しています。

町沢氏は親や谷口少年にも一切面会していませんでしたが親からの要請を受けて2000年3月5日に佐賀県警と国立肥前療養所に連絡しており同療養所はすぐに少年の医療保護入院を許可して昨日入院。

入院が決まった際に谷口少年は両親に対して

貴様ら前から僕を精神科医に入院させる事を考えていたのか。この恨みは絶対に忘れないからな。覚えてろよ。と発言しています。

両親に対しては暴力的な態度だった谷口少年ですが病院内では大人しかったとされており5月3日から1泊2日の外出許可が出たため谷口少年は家に帰り事件を起こしています。

谷口誠一の犯行動機は?

西鉄バスジャック事件を起こして日本中を震撼させた谷口誠一少年ですが犯行動機は何だったのでしょうか。

谷口少年の犯行動機として当時ハマっていたインターネットの掲示板・2ちゃんねるで煽られたことや両親から精神医療センターへ収容された腹いせだったと言われています。

5月3日に外出許可が出た谷口少年は2ちゃんねるの掲示板に「佐賀県佐賀市17歳 ネオ麦茶」のスレを立てて「ヒヒヒヒヒ」と書き込んで犯行に及んだそうです。

このネオ麦茶というスレが関係して西鉄バスジャック事件はネオ麦茶事件とも言われています。

ちなみに逮捕後に谷口少年の口から語られた犯行動機は「目立ちたかった」や「事件を起こして両親を苦しめたかった」というものであり両親を相当恨んでいた事が分かります。

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