梅川昭美の生い立ちがヤバすぎる!女子行員に性行為をさせた噂は本当なの?


1979年1月26日に三菱銀行北畠支店で起こった「三菱銀行人質事件」は30人以上を人質し4名の命が奪われた最悪の事件です。

42時間の立てこもっている中で犯人である梅川昭美が取った行動が話題になっており人質同士で性行為をさせたという噂もあります。

そんな梅川昭美の生い立ちや事件が起こった理由について非常に気になるところです。

そこで今回は三菱銀行人質事件の内容や犯人である梅川昭美の生い立ち、人質同士で性行為をさせたという噂について詳しく調べてみました!

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​​三菱銀行人質事件が起きた理由は?

​​三菱銀行人質事件は1979年1月26日に梅川昭美が大阪府の三菱銀行北畠支店で起こした事件であり30人以上を人質にして42時間立てこもり4人の命が奪われた事件です。

犯人の梅川昭美には501万円の借金があり借金を返済するために犯行に及び、また”30歳になったら大きなことをしたい“という気持ちが銀行強盗する事を決意したようです。

梅川は読書家であり幅広い書籍を読んできた中で「3分以内に強盗を終えれば逃げられる」という知識を得たことも犯行を及ぶきっかけになっていたとのこと。

犯行は細かく計画されており逃走用の車や銃撃戦を想定していたため車には銃弾が大量に積まれていました。

3分以内に強盗を終える予定でしたが梅川は威嚇射撃をしてしまったせいで通報されてしまい、さらには通りかかった警察官に発砲した為に時間をロス、その場にいた30人以上を人質として立てこもりました。

梅川は通報しようとした男性行員に発砲して殺害し通り掛かりの警察官に対しては待ち伏せして駆けつけて来たところを2〜3メートルの近さで発砲し殺害しています。

さらに通報を受けて駆けつけた警官も射殺され最後には支局長が「こうなったのはお前の責任」との理由で射殺されてしまいました。

梅川は人質に対して当たるか当たらないかの危険な発砲をしたり、癇癪を起こして「殺すぞ!」と銃口を向けるといった行為で人質に恐怖心を与えていたそうです。

​​人質に性行為をさせた噂は本当?

​​梅川が銃で脅して女性行員たちを全裸にし男性行員たちは半裸にして自分を囲ませ「肉の盾」を作っていたのは有名な話です。

こうする事によって梅川は射殺されるのを防いでいましたが男性行員と女性行員に性行為をさせていたという噂は果たして本当なのでしょうか。

この件について調べてみたところ性行為の噂は週刊誌が話しを盛るために作った話であり実際に性行為は無かったとされています。

しかし梅川は銃を突きつけながら女性行員を全裸にさせる際に上着、下着など一枚ずつゆっくりと脱ぐように命令しており楽しんで見ていた事が明らかになっています。

ちなみに梅川は母親からの手紙を読んだ際に同情したのか、全裸にしていた女性行員たちに服を着るよう命令したそうです。

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梅川昭美の生い立ちについて!

​​梅川昭美は広島県大竹市で生まれ、父親が46歳で母親が42歳の時に産まれた待望の息子でした。

梅川が8歳の時に父親が脊髄の病気を患った事がきっかけで働く事が不可能で貧乏な生活を送るように。

10歳の時に両親が離婚すると梅川は父親と香川県で生活しますが、まともな生活が出来ないことを理由に母親の元へ家出をします。

思春期の頃には何度も補導されるなど母親に対しても暴力を振るうようになり広島工業高校に進学したもののバイクを盗んだ罪で4ヶ月で退学させられています。

母親は息子のために復縁しますが梅川は家を飛び出し大竹市内の土建会社で作業員として働くもすぐに退社。

梅川はその後辞めた会社の社長宅に侵入し留守番していた社長の義妹をナイフで殺害、現金や預金通帳などを奪い逃走しています。

この時、梅川は15歳でした。

逮捕時に梅川は16歳未満であったが犯行の残虐さから中等少年院に送られたそうです。

一年余りで仮退院した梅川は大阪でバーテンや飲食取り立て人をしながら生活しており三菱銀行人質事件を起こすまでの15年間は警察沙汰を起こしていなかったといいます。

梅川が19歳の時に父親が亡くなるも梅川は葬儀に出席しなかったようです。

27歳の時に7年交際した女性と別れると大藪春彦のハードボイルド小説の影響を受けてボディービルや狩猟の練習をしながら、カッコいい男の生き方を模索。

尼崎連続変死事件の主犯格である角田美代子と関係があったとされていますが単なる噂に過ぎないと言われているようです。

また自分を磨く為に様々な本を読んでおり月にかかる本代は相当なものだったと言われています。

30歳の誕生日を目前に「オレもおふくろを心配させたらアカン齢や」と仲間に漏らしていた梅川でしたが友人の1人に「銀行強盗をやるから手伝え」と話を持ちかけていました。

務めていたクラブが閉店すると梅川は贈答品セールス業を始めますが、上手くいかずに母親への仕送りが出来なくなりました。

殺人事件から15年が経ち、梅川は「一発デカいことをやらなアカン」という理由で三菱銀行北畠支店を狙う事に。

事件前に梅川は2年ぶりに母親に会いに行き親孝行をするなど、近所の人には高価なカズノコを手渡しするといった行動をとっていたようです。

事件当日に梅川は近所の理髪店でアフロヘアにしてから犯行に及んだとされています。

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